オリンピックスポーツ文化研究所 お知らせ

お知らせ 2025.12.15 令和7年度 研究活動報告

『デンさんのプール 杉本傳〜水泳ニッポンを作った男』(小学館)の刊行
―オリンピックスポーツ文化研究所が取材協力を行いました―

 去る11月5日、本学の同窓生・杉本傳(すぎもと つたえ)氏を取り上げた書籍が、脚本家でありチャップリン研究家でもある大野裕之氏の丹念な調査・研究の結果、刊行されました。調査に際しては、オリンピックスポーツ文化研究所も、一部ご協力させていただきました。ぜひ、先輩である杉本氏の功業を、日体ファミリーのみなさまに知っていただきたいと思います。詳細は、大野氏のコメントをご覧ください。

刊行された書籍
著者の大野裕之氏

<著者・大野裕之さんのコメント>

このたび水泳ニッポンの生みの親、杉本傳についての伝記『デンさんのプール 杉本傳〜水泳ニッポンを作った男』(小学館)を出版しました。執筆にあたり、日本体育大学オリンピックスポーツ文化研究所に大変お世話になりました。

杉本傳(すぎもと・つたえ、通称「デンさん」)は、日体大の前身である日本体育会体操学校で水泳を学び、その後、大阪の茨木中学(現・茨木高校)で生徒だった川端康成らと一緒にグラウンドを掘って、大正初期に日本初の近代プールを作り、クロール泳法をいち早く導入しました。彼は高石勝男(パリ五輪で日本人初の入賞)らオリンピック選手を育て上げ、1924年パリ五輪では競泳監督を務め、1928年アムステルダム五輪で日本初の飛込監督になり、日本に水球を導入するなど、水泳の全てのジャンルでのパイオニアであります。
それだけでなく、学童の水泳教育や女子水泳教育に力を入れて、1932年ロス五輪で女子水泳の監督になるなど、水泳教育の裾野を広げることに力を尽くしました。さらに、関西で初めてのブラスバンド部を作り、本人は能楽やヴァイオリンを嗜む文人でもありました。
杉本傳は、一部のエリートだけを養成するのではなく、多くの人とスポーツや文化の楽しみを分かち合うことに努めました。また、前例にとらわれずにクロール泳法など最新の知見を全国に広めました。そんな彼の姿勢は、現代の日本のスポーツ界、教育界に最も必要なことではないでしょうか。
いまだ長い閉塞感から抜け出せていない我が国ですが、今こそ、グラウンドに生徒と一緒にプールを掘ったあの破天荒な冒険者「デンさん」のような人物が必要です。
ぜひとも杉本傳のことを広く知ってほしいと願っています。

1924年パリオリンピック時の杉本傳氏

体操学校時代の杉本傳氏(後列左)

日本初の近代プールである茨木中学(現・茨木高校)のプール

1920(大正9)年。戸田の水泳大会で優勝した時の記念写真。茨木中学のプールにて、前列左から二人目が杉本傳。後列左が高石勝男、中央が入谷唯一郎。

日本体育大学における戦没同窓生に関する調査・研究(10月)
―情報提供を呼び掛ける依頼文書を発送しました―

既報の通り、プロジェクト1「日体大とオリンピック・パラリンピック」では、福井元准教授と関口雄飛助教が中心となって、戦没同窓生に関する調査・研究を進めています。
10月末日には、1943(昭和18)年3月~1945(昭和20)年3月卒の同窓生(1990年時点の生存者)のご家族宛てに、情報提供を呼び掛ける文書をお送りさせていただきました。発送作業では、本学大学院(体育スポーツ文化社会学コース)の学生にお手伝いをいただきました。

学生コメント
 「今回の作業では、プロジェクトが直面している史資料収集の課題を理解することができました。プロジェクトを遂行するために、研究所を中心として本学教職員が協力し合っている様子を確認することができました。多くの先輩方の想いや伝統を受け継ぎ、これからも日頃の感謝を忘れず研究に励んでいきたいと思います。プロジェクトの取り組みが多くの関係者に届いて欲しいと願います。」

その結果、11月初旬には、1943(昭和18)年3月卒の同窓生のご家族より、日本体育専門学校時代の資料が自宅に残っているため協力したい、というご連絡をいただくことができました(詳細は後日掲載予定)。戦災の影響で、本学所蔵の資料がたいへん少ないため、貴重な情報となるに違いありません。本プロジェクトにご協力いただいている皆様には、改めて感謝申し上げます。誠にありがとうございます。

本学の戦没同窓生や戦前・戦後まもなくの歴史に関する情報(史資料寄贈に関するご相談等)をお持ちの場合には、下記連絡先までお知らせください。
※史資料の寄贈に関しましては、ご希望に沿えない場合もございます。予めご了承ください。

【お問合せ先:日本体育大学オリンピックスポーツ文化研究所】
氏名、連絡先、お問合せ内容を明記の上、下記のいずれかの方法でご連絡ください。

日体大の戦没オリンピアン・有本彦六先生に関する調査・研究(10月)
―調査・研究成果の公開その②―

既報の通り、プロジェクト1「日体大とオリンピック・パラリンピック」では、福井元准教授と関口雄飛助教が、戦後80年を前にした2024年度より、日体大の戦没オリンピアン・有本彦六先生(1936年ベルリンオリンピック体操競技日本代表)に関する調査を行ってきました。

調査の結果は、「戦没オリンピアン・有本彦六のライフヒストリー:体操競技をめぐる指導理念―「日体スワローの魂」の形成とその実践」と題した学術論文としてまとめられ、『オリンピックスポーツ文化研究』第10号で公開されました。

9/30-10/1には、福井准教授と関口助教が、有本先生の故郷・三重県熊野市を訪れ、ご家族等に対し本調査・研究に関する報告を行いました(写真)。そしてその様子が、10月1日付の『読売新聞』(三重版)で報じられました。また、10月29日発行の『学報 日體大』でも、本調査・研究に関する記事が掲載されました。

戦没オリンピアンの生きざまに迫る

有本氏のご家族への報告の様子

本学の戦前・戦後まもなくの歴史に関する情報(史資料寄贈に関するご相談等)がございました場合は、研究所(下記)までお知らせください。
※史資料の寄贈に関しましては、ご希望に沿えない場合もございますので、予めご了承ください。

【宛先:日本体育大学オリンピックスポーツ文化研究所】
氏名、連絡先、お問合せ内容を明記の上、下記のいずれかの方法でご連絡ください。

オリンピックスポーツ文化研究所所蔵品の整理・保存
―オリンピアン・中村礼子先生(水泳競技)より貴重な資料をご提供いただきました―

プロジェクト3 「オリンピックスポーツ文化研究所所蔵品の整理と目録・解題」では、関口雄飛助教が中心となって、日体大におけるオリンピック・パラリンピックを中心とした歴史の構築に取り組んでいます。

本年度は、2004年アテネオリンピックと2008年北京オリンピック水泳日本代表の中村礼子先生より、現役生活中に獲得したトロフィーやメダル(オリンピックメダルを除く)、賞状、水泳キャップなど、約400点をご寄贈いただきました。

メダリストへの軌跡-中村 礼子-

10月30日には、本学大学院(体育スポーツ文化社会学コース)の学生にお手伝いをいただき、貴重な資料の整理・保存作業を行いました。中村礼子先生、誠にありがとうございました。

本学に関する歴史的資料の寄贈等のご相談は、下記連絡先までお知らせください。
※寄贈に関しましては、ご希望に沿えない場合もございます。予めご了承ください。

【宛先:日本体育大学オリンピックスポーツ文化研究所】
氏名、連絡先、お問合せ内容を明記の上、下記のいずれかの方法でご連絡ください。

オリンピック・パラリンピック教育に関する調査・研究(10/20‐21)

プロジェクト1「オリンピック・パラリンピック教育に関する調査・研究」では、門屋貴久准教授、依田充代教授、佐藤浩教授、清宮孝文特任助教が、全国の小中学校におけるオリンピック・パラリンピック教育に関する調査・研究を進めています。

今年度は、JOC(日本オリンピック委員会)の「オリンピック教室」に着目し、2024年度に「オリンピック教室」を実施した中学校にて調査を行なっています。
調査対象地域(学校)に関しては、2024年度に「オリンピック教室」を実施した中学校を都道府県別に分け、その中でも実施校数の多かった、秋田県の中学校(以下の3つ)にてインタビュー調査を実施しました。調査校における担当者からは、実施した経緯や成果、課題などをお伺いすることができました。

ご協力いただきました関係者の皆様には、心より御礼申し上げます。
今後も調査を継続し、調査結果をまとめていきます。

秋田県大仙市立中仙中学校 実施日:2025年10月20日
秋田県大仙市立南外中学校 実施日:2025年10月20日
秋田県三種町立八竜中学校 実施日:2025年10月21日

日本体育大学における戦没同窓生に関する調査・研究(9/17)
―戦没同窓生・伊藤祐寛氏のご家族より史資料をご提供いただきました―

既報の通り、プロジェクト1「日体大とオリンピック・パラリンピック」では、福井元准教授と関口雄飛助教が中心となって、戦没同窓生に関する調査・研究を進めています。
8月4日には、東京・世田谷キャンパスにおいて第二次世界大戦でその尊い命を落とした同窓生の鎮魂と世界平和への宣誓を行う慰霊式が挙行され、8月15日付の『朝日新聞』でその様子と本プロジェクトに関する内容が大きく取り上げられました(以下)。

「戦争協力 苦渋の日体大:設置した学科「特攻隊員」養成」『朝日新聞』2025年8月15日付、p.17。

9月17日には、上記報道をご覧になった戦没同窓生・伊藤祐寛氏(1935年卒)のご家族より、体操学校時代のお写真やラグビー部より贈られた卒業記念品、卒業生名簿、戦争経験が綴られた直筆の原稿等をご提供いただきました(写真)。
「昭和十年三月 第四十四期 卒業者名簿」によれば、伊藤祐寛氏は、1915(大正4)年に鹿児島県薩摩郡に生まれ、1933(昭和8)年に日本体育会体操学校に入学、ラグビー部員として活動しました。その他の特技は、柔道二段、陸上競技、タンブリング、弓道とスポーツ万能の人物でした。また、奇しくも、戦没オリンピアン・有本彦六氏と同級生でもありました。氏は、1935(昭和10)年に体操学校を卒業後、大日本帝国陸軍に応召、日中戦争に参戦しました。朝鮮総督府体育主事を務めていた1943(昭和18)年には、再び陸軍に応召し、1945(昭和20)年5月にレイテ島で戦死しました。31歳でした。
今後は、史資料を整理し、伊藤氏がどのような生涯を歩んだのかを跡付けていく予定です。
本学の、戦没同窓生に関する情報や戦前・戦後まもなくの歴史に関する情報(史資料寄贈に関するご相談等)をお持ちの場合には、下記連絡先までお知らせください。
※史資料の寄贈に関しましては、ご希望に沿えない場合もございます。予めご了承ください。

【お問合せ先:日本体育大学オリンピックスポーツ文化研究所】
氏名、連絡先、お問合せ内容を明記の上、下記のいずれかの方法でご連絡ください。

日体大の戦没オリンピアン・有本彦六先生に関する調査・研究(8月・9月)
―調査・研究成果の公開その①―

既報の通り、プロジェクト1「日体大とオリンピック・パラリンピック」では、福井元准教授と関口雄飛助教が、戦後80年を前にした2024年度より、日体大の戦没オリンピアン・有本彦六先生(1936年ベルリンオリンピック体操競技日本代表)に関する調査を行ってきました。
調査の結果は、「戦没オリンピアン・有本彦六のライフヒストリー:体操競技をめぐる指導理念―「日体スワローの魂」の形成とその実践」と題した学術論文としてまとめられ、『オリンピックスポーツ文化研究』第10号で公開されました。また、9/15付の『読売新聞』(社会面)でも大きく取り上げられました(下記リンク)。

また、既報の通り、プロジェクト3「オリンピックスポーツ文化研究所所蔵品の整理と目録・解題」では、「戦場に散った日体のオリンピアン・有本彦六の生涯」と題した特別展示を、7/8~9/30まで開催しました。研究所は、調査・研究の成果を、学術論文として公開していくだけではなく、日体ファミリーのみなさんにも分かりやすく発信していきたいと考えています。本企画に対しては、本学学生、教職員、同窓会会員のみなさまより、多大なる応援をいただくことができました(写真)。
本プロジェクトは、引き続き、近代日本のスポーツにおいて重要な役割を果たしてきた本学の歴史を、拾い、紡ぎ、そして、次世代の日体ファミリーへと継承していく作業に力を注いでいきます。今後は、学報『NITTAI』等でも調査・研究成果を公開していく定です。
本学の戦前・戦後まもなくの歴史に関する情報(史資料寄贈に関するご相談等)がございました場合は、研究所(下記)までお知らせください。
※史資料の寄贈に関しましては、ご希望に沿えない場合もございますので、予めご了承ください。

【お問合せ先:日本体育大学オリンピックスポーツ文化研究所】
氏名、連絡先、お問合せ内容を明記の上、下記のいずれかの方法でご連絡ください。

日本体育大学における戦没同窓生に関する調査・研究(8・9月)
―貴重史料が発掘されました―

既報の通り、プロジェクト1「日体大とオリンピック・パラリンピック」では、福井元准教授と関口雄飛助教が中心となって、戦没同窓生に関する調査・研究を進めています。
しかし本学は、1945年5月の空襲によって校舎を焼失し、多くの貴重資料を失っているため、調査が難航しています。この状況を乗り越えるべく、8月と9月には、福井准教授と関口助教が、関係部署の協力をいただき、学内において本格的な資料調査を行いました。その結果、日本体育専門学校時代の「卒業証書台帳」など、複数の貴重資料を発掘することができました(写真)。資料の焼け焦げたような痕跡は、本学の歴史を次世代の日体ファミリーへと懸命に継承しようとした人々がいたことを感じさせます。本プロジェクトは、こうした人々の想いをも踏まえて、引き続き、調査・研究に取り組んでいきます。
本学の、戦没同窓生に関する情報や戦前・戦後まもなくの歴史に関する情報(史資料寄贈に関するご相談等)をお持ちの場合には、下記連絡先までお知らせください。
※史資料の寄贈に関しましては、ご希望に沿えない場合もございます。予めご了承ください。

【お問合せ先:日本体育大学オリンピックスポーツ文化研究所】
氏名、連絡先、お問合せ内容を明記の上、下記のいずれかの方法でご連絡ください。

日本体育・スポーツ・健康学会第75回大会における特別展示(8/27-28)
―過去最大規模の展示を開催しました―

プロジェクト1「日体大とオリンピック・パラリンピック」、プロジェクト3 「オリンピックスポーツ文化研究所所蔵品の整理と目録・解題」では、それぞれ、松浪登久馬准教授と関口雄飛助教が中心となって、日体大におけるオリンピック・パラリンピックを中心とした歴史の構築に取り組んでいます。
8月27日-29日には、東京・世田谷キャンパスにおいて日本体育・スポーツ・健康学会第75回大会が開催され、27日-28日には、研究所が過去最大規模の展示を開催しました(写真)。
本展示の目的は、「我が国のスポーツ文化の深化・発展に努めるとともに、オリンピック・ムーブメントを主導的に推進し、スポーツの『力』を基軸に国際平和の実現に寄与する」という日本体育大学の使命を、研究所主催の展示を通して体現する点にありました。そのコンセプトとしては、研究所が長年にわたり収集してきたオリンピック・パラリンピック関連資料をダイナミックに紹介することによって、日本体育大学とオリンピック・パラリンピックの関係史を広く発信し、オリンピズムの理解を深める機会を提供することをかかげました。また、昨年度より取り組んできた「戦没オリンピアン」に関する調査研究の成果や、本年度より開始した「戦没同窓生」に関する調査研究の成果も公開し、「スポーツを通じて戦後80年を考える」という独創的な機会を提供することも目指しました。来場者からは、「ぜひ常設にしてほしい!」そのようなたくさんの好評のお声をいただくことができました。2つのプロジェクトでは、引き続き、本学においてどのような展示が可能なのかについて検討を続けていきます。
展示に際しては、具志堅幸司先生、山本洋祐先生、伊藤正充先生、水野洋子先生、大束忠司先生、湯元健一先生、中村礼子先生、矢崎シャーリー夏先生、藤丸真世様、橋本峻様、箱山愛香様、富田宇宙様、辻沙絵様、古賀稔彦先生ご家族様、佐々野利彦先生ご家族様、有本彦六先生ご家族様、松本徳一氏ご家族様、舘喜一郎氏ご家族様、本学研究支援課の皆様に多大なるご協力をいただきました。改めて感謝申し上げます。誠にありがとうございました。
本学に関する歴史的資料の寄贈等のご相談は、下記連絡先までお知らせください。
※寄贈に関しましては、ご希望に沿えない場合もございます。予めご了承ください。

【お問合せ先:日本体育大学オリンピックスポーツ文化研究所】
氏名、連絡先、お問合せ内容を明記の上、下記のいずれかの方法でご連絡ください。

日本体育大学における戦没同窓生に関する調査・研究(8月)
―慰霊式の挙行と取材対応―

既報の通り、プロジェクト1「日体大とオリンピック・パラリンピック」では、福井元准教授と関口雄飛助教が中心となって、戦没同窓生名簿の作成を行っています。
8月4日には、東京・世田谷キャンパスにおいて第二次世界大戦でその尊い命を落とした同窓生の鎮魂と世界平和への宣誓を行う慰霊式が挙行されました。本プロジェクトメンバーである石井隆憲学長は、挨拶の中で、当研究所が戦没同窓生名簿の作成を開始したことを公表し、改めて本学が世界平和に貢献していくことを表明しました。
式典終了後には、福井准教授と関口助教が、読売新聞社と朝日新聞社による取材対応を行いました。読売新聞社の記事は翌8月5日に、朝日新聞社の記事は8月15日に掲載されました。詳細は以下の通りです。

「学徒出陣犠牲者:日体大で慰霊式」『読売新聞』2025年8月5日付、p.21。
「戦争協力 苦渋の日体大:設置した学科「特攻隊員」養成」『朝日新聞』2025年8月15日付、p.17。

本学の、戦没同窓生に関する情報や戦前・戦後まもなくの歴史に関する情報(史資料寄贈に関するご相談等)をお持ちの場合には、下記連絡先までお知らせください。
※史資料の寄贈に関しましては、ご希望に沿えない場合もございます。予めご了承ください。

【お問合せ先:日本体育大学オリンピックスポーツ文化研究所】
氏名、連絡先、お問合せ内容を明記の上、下記のいずれかの方法でご連絡ください。

日本体育大学における戦没同窓生に関する調査・研究(7月)
―靖国神社遊就館における調査―

既報の通り、プロジェクト1「日体大とオリンピック・パラリンピック」では、福井元准教授と関口雄飛助教が中心となって、戦没同窓生名簿の作成を行っています。
7月29日には、福井准教授と関口助教が靖国神社境内の宝物館である遊就館を訪れました。同館には、幕末からアジア・太平洋戦争に至るまでの戦没者や軍事関係の資料が収蔵・展示されています。今回は、その展示を見学し歴史的理解を深めるとともに、戦没同窓生に関する調査を行いました。その結果、公開されている戦没者(1万人分)の名簿と遺影の中に、同窓生1名(確定人数のみ)を見つけ出しました。名簿のみでは同姓同名の可能性があり、本学同窓生か否かの断定ができませんが、今回は、「日體」と刻まれた角帽を被った遺影が決め手となりました。
本学の、戦没同窓生に関する情報や戦前・戦後まもなくの歴史に関する情報(史資料寄贈に関するご相談等)をお持ちの場合には、下記連絡先までお知らせください。
※史資料の寄贈に関しましては、ご希望に沿えない場合もございます。予めご了承ください。

【お問合せ先:日本体育大学オリンピックスポーツ文化研究所】
氏名、連絡先、お問合せ内容を明記の上、下記のいずれかの方法でご連絡ください。

日体大の戦没オリンピアン・有本彦六先生に関する図書館特別展示(7/8~)

プロジェクト1「日体大とオリンピック・パラリンピック」では、福井元准教授と関口雄飛助教が、戦後80年を前にした2024年度より、日体大の戦没オリンピアン・有本彦六先生(1936年ベルリンオリンピック体操競技日本代表)に関する調査を行ってきました。

調査の結果は、『オリンピックスポーツ文化研究』第10号で間もなく公開予定ですが、プロジェクト3「オリンピックスポーツ文化研究所所蔵品の整理と目録・解題」では、第10号刊行に先立って、本学図書館課の協力のもと、特別展示を7月8日(火)よりスタートさせました。研究所は、調査・研究の成果を、学術論文として公開するのみならず、日体ファミリーのみなさんにも分かりやすく発信していきたいと考えています。ぜひ本企画に足を運んでいただき、今後に向けてご意見・ご要望をお寄せいただけますと幸いです。

展示の様子は後日お伝えいたします。研究所は、戦後80年を迎える2025年度より戦没同窓生名簿の作成をスタートさせました。本学の、戦没同窓生に関する情報や戦前・戦後まもなくの歴史に関する情報(史資料寄贈に関するご相談等)がございましたら、研究所(下記)までお知らせください。
※史資料の寄贈に関しましては、ご希望に沿えない場合もございますので、予めご了承ください。

【お問合せ先/宛先:日本体育大学オリンピックスポーツ文化研究所】
氏名、連絡先、お問合せ内容を明記の上、下記のいずれかの方法でご連絡ください。

日本体育・スポーツ史学会での研究成果公開(6/1)

プロジェクト2「オリンピック・パラリンピックの理念・価値と現代的課題」では、関口雄飛助教が、サッカーを対象にした歴史研究に従事しています。イギリスをはじめとする海外のサッカー史研究は盛んに蓄積されていますが、日本における研究はあまり進んでいません。

こうした研究状況を受けて関口助教は、日本におけるサッカー史を、レフェリーという新たな視点で捉え直すことを目指し、国内外の関係機関と情報交換を図りながら調査・研究を進めています。

5月31日(土)・6月1日(日)には、奈良女子大学において日本体育・スポーツ史学会の第14回大会が開催され、「1936年ベルリンオリンピックと日本のサッカーレフェリー」というテーマで口頭発表(発表25分、質疑10分)を行いました。

研究成果は、今年度中に学術論文としてまとめる予定となっています。

日本vsイタリアの一戦。互いの拳が顔面を捉えている。
竹之内響介(2015)『ベルリンの奇跡』東京新聞より転載。

日本体育大学における戦没同窓生に関する調査・研究(6月)

既報の通り、プロジェクト1「日体大とオリンピック・パラリンピック」では、福井元准教授と関口雄飛助教が中心となって、「オリンピック・パラリンピックを中心とした歴史の構築」の一環として戦没同窓生名簿の作成を行っています。

6月は、戦後初の同窓生名簿とされる『日本体育専門学校同窓会並職員名簿(1948年版)』等の史料を参照し、まずは、1943(昭和18)年3月~1945(昭和20)年3月卒業の同窓生を中心に不明者・物故者一覧を作成しました。現在は、様々な史資料を突き合わせながら、戦没同窓生の特定を進めています。同時に、石井隆憲学長らプロジェクトメンバーの先生方にも、同窓会支部をはじめとする関係組織に情報提供を呼び掛けていただいています。

本学の、戦没同窓生に関する情報や戦前・戦後まもなくの歴史に関する情報(史資料寄贈に関するご相談等)をお持ちの場合には、下記連絡先までお知らせください。
※史資料の寄贈に関しましては、ご希望に沿えない場合もございます。予めご了承ください。

【お問合せ先:日本体育大学オリンピックスポーツ文化研究所】
氏名、連絡先、お問合せ内容を明記の上、下記のいずれかの方法でご連絡ください。

「同窓会並職員名簿」(1948年5月)

『大阪毎日新聞』1937年10月13日付、p.2。
当該記事は、1937(昭和12)年10月に第10回極東選手権競技大会排球日本代表選手で、浪華高等女学校(現・大阪女学院高等学校)体操科教諭であった野呂正文氏(1934年卒)の戦死を報じたものである(同氏に関しては今後紹介予定)。この時期の『大阪毎日新聞』では、戦死した府民の略歴が掲載され、スポーツ歴に関しても記されているケースが多々ある。本プロジェクトでは、このような情報も(もちろん精査が必須であるが)拾い上げている。

日本体育大学における戦没同窓生に関する調査・研究(5月)

プロジェクト1「日体大とオリンピック・パラリンピック」では、福井准教授と関口助教が中心となって、「オリンピック・パラリンピックを中心とした歴史の構築」の一環として戦没同窓生名簿の作成を行っています。5月は、戦後初の同窓生名簿とされる『日本体育専門学校同窓会並職員名簿(1948年版)』等の史料を参照し、該当者リストの作成をスタートさせました。

周知の通り、本年は、第二次世界大戦後80年という節目の年にあたります。先の大戦では、オリンピック関係者をはじめとする、実に多くの同窓生がその尊い命を落としました。いうまでもなく、その時代を知る同窓生は、年々少なくなっています。

再び体育・スポーツに汗を流すことが叶わなかった同窓生の無念に向き合わずして、真に現代社会における平和を考えることには繋がりません。当該時期の歴史を検証し、平和に対する宣誓を改めて表明する取り組みは、戦後、日体の門をくぐれた者にしか担うことができません。

ウクライナをはじめ、世界各地で戦争や暴力が止まない今だからこそ、戦没同窓生に関する調査・研究は、石井隆憲学長の了承のもとで、オリンピックスポーツ文化研究所が担うべき喫緊のプロジェクトと位置付けました。今年度は、図書館課をはじめとした各所と協力を図りつつ、その名簿(第一弾)の作成を目指しています。

本学の、戦没同窓生に関する情報や戦前・戦後まもなくの歴史に関する情報(史資料寄贈に関するご相談等)をお持ちの場合には、下記連絡先までお知らせください。
※史資料の寄贈に関しましては、ご希望に沿えない場合もございます。予めご了承ください。

「同窓会並職員名簿」(1948年5月)
本学は1945(昭和20)年5月の空襲で本部棟をはじめとする8棟を焼失、書類の多くが失われた。上記名簿は、土浦移転(1946年)後、各都道府県同窓会支部の協力によって初めて作成されたものである。序文「編纂にあたって」によれば、上記名簿は暫定的なもので、4か月後の9月に完璧なものが編纂されると記されている。しかし現状その名簿の行方は不明である。

【お問合せ/宛先:日本体育大学オリンピックスポーツ文化研究所】
氏名、連絡先、お問合せ内容を明記の上、下記のいずれかの方法でご連絡ください。

日体大の戦没オリンピアン・有本彦六先生に関する最終調査(4/25)

プロジェクト1「日体大とオリンピック・パラリンピック」では、福井元准教授と関口雄飛助教が、戦後80年を前にした2024年度より、日体大の戦没オリンピアン・有本彦六先生(1936年ベルリンオリンピック体操競技日本代表)に関する調査を行ってきました。2024年度は、日本体育大学図書館、有本先生の故郷・三重県熊野市、当時の地元新聞が所蔵されている三重大学図書館、有本先生の親友であった松本徳一先生(故人)のご自宅、防衛省の研究機関である防衛研究所を中心に調査を実施してきました。

その後、有本先生が海軍対潜学校4期の卒業生であったと判明したため、今回は、最終調査として、関口助教が、その追悼文集が所蔵されている立命館大学国際平和ミュージアムを訪れました。調査の結果、「有本彦六学生」と題した追悼文や所属班の集合写真などを閲覧・収集しました。奇しくも、調査日の2025年4月25日は、有本先生の80回目の命日でありました。

私たちは、愛する仲間や教え子が待つ体操競技場に再び戻る日を夢見て亡くなられた有本先生の無念を忘れてはなりません。改めて、有本先生のご冥福を心よりお祈りいたします。また、約1年半に及ぶ調査にご協力いただいた皆様、誠にありがとうございました。調査の結果は、『オリンピックスポーツ文化研究』第10号で公開予定です。
研究所は、戦後80年を迎える2025年度より戦没同窓生名簿の作成をスタートしました。本学の、戦没同窓生に関する情報や戦前・戦後まもなくの歴史に関する情報(史資料寄贈に関するご相談等)がございましたら、研究所(下記)までお知らせください。
※史資料の寄贈に関しましては、ご希望に沿えない場合もございますので、予めご了承ください。

【お問合せ先(宛先):日本体育大学オリンピックスポーツ文化研究所】
氏名、連絡先、お問合せ内容を明記の上、下記のいずれかの方法でご連絡ください。